5−1
2006 / 05 / 31 ( Wed )
 届いた2冊の本は文庫本でありながら共に厚さが2センチもある。
孫の凛が学校の帰りに届けてくれた。
「本当に読み終えることができるかしら」、春江は2冊の本の厚さに気後れした。あと10日間で志村がやってくる。なんとしてでも読み終えなくては。決意の中に悲壮感が漂っていた。
とりあえずどんなことが書いてあるか目次を見た。上下巻合わせて29章からなる大作である。
各章につけられた名前だけ見ても何が書かれているのか分からないものもあった。
1章に臨死体験とある。まあ最悪1章さえ読んでおけば臨死体験のことはなんとなくわかるだろうと思い読み始めた。
 思ったとおり1章に臨死体験者の体験談が書かれている。取材されたほとんどの人は意識が肉体から離れ、天井近くの高い位置から、人形のようにピクリともしない自分自身の肉体を眺めている。それから、暗いトンネルを抜け、太陽よりも数倍明るいが、眩しくない優しい愛に溢れた光に出会う。このとき、このままここにずっと居たい、もうここに来る前の状態には戻りたくないと思うのだそうである。
そのうち、亡くなった身内、親しくしていた知人、もしくは聖人のような人が現れて、
「あなたはまだ、ここに来る必要がない。帰りなさい。」
と告げ、ここに居たいといっても、居させてもらえず、そして、気が付くと元いたベッドの上に居るとのことである。
春江はちょっと安心した。死ぬこととはちょっと違うけれど、死のそばまで行った人の話しでは、やっぱり人間には魂というか霊というかそういうものがあって、死ぬとそのような状態になり、意識は死ぬ前と死を通過するときでもちゃんと連続性があり、まったくの別人に変わったり、意識が無くなったりということは無さそうである。
 本の内容は今の自分が不安に思っていることについて書かれているので、興味津々であるが、本を読む癖がついていないので、なかなか先に進まない。
 7日ぐらいしてひょっこり志村が現れた。
 「どうですか、容態のほうは。顔色はまあまあですね。」
ちょっと間をおいてから
 「本の進み具合はいかがですか。小説じゃないので骨が折れているんじゃないかと心配していたんです。」
「ええ、大変です。本を一生懸命読むのは4年前にホームヘルパーの勉強をしていたとき以来です。そのときも本を読むのに苦労しました。なかなか頭に入っていかないんです。文字を読んでも身につかないというか。上辺だけ判ったような気になるんですが、さてこれはと自分で問うてみると、何にも答えられない。本当に苦労しました。」
「そうですね、読書に慣れていないと同じところを何度も読み返したり、読むのに時間が掛かったりとなかなか進んでいきませんね。私もそうだったんです。ですから片山さんのことがよくわかるんです。」
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4−3
2006 / 05 / 31 ( Wed )
「死というものがどのようなものか、本を読んでみたことはないんですか。」
「本を読むことはあまり得意じゃないもので。でも、死について書かれたものがあるんですか。 死んじゃったときには死ぬときの様子など記録として残せないじゃないですか。そうだとすれば、死について書かれたものはすべて想像の産物ということになりませんか。」
「ずいぶんはっきりと短絡的に言い切りますね。」
「しょうがないですよ。私の性分ですから。」
「死ぬときどのような体験をするかを直接伝えているわけではないんですが、それに近いことが書かれているものがあります。一般に言われている臨死体験というものです。聞いたことありますか。」
「えぇ、聞いたことはあります。」
「臨死体験というとおり、限りなく死に近づいた体験ということになります。事故や、心臓病など重い疾患で一時的に呼吸もなく、脳波もない、いわゆる死んだ状態になって、そして生き返った人たちの体験です。完全に死んだわけではないですから、死の体験ではないですがそれに限りなく近い体験ということになります。体験談も結構本になっているんですよ。」
「志村さんはそのような体験したことありますか。」
「私もいろいろなセミナーとかに参加してみたんですが、臨死体験者のような現実感のある体験は出来ませんでした。でも、私の場合、目に見えない力を使用できますから、そういう体験がなくとも、死んだ後も魂といわれるものはあると確信しています。」
「そうですよね。人と違うことが出来るんですから。私みたいな人はどうすればいいのでしょうか。死ぬ瞬間、死んだ後のことを知るためには。」
「本を読むのが億劫な人には申し訳ないですけれど、臨死体験がどのようなものか本で知ってもらうしかないと思います。臨死体験についてよくもまあこんなに調べたものだという本があります。これを読んでおけば臨死体験がどの様なものか理解できますし、臨死体験の大家である、レイモンド・ムーディ博士や、エリザベス・キュープラー・ロス博士の本までは読まなくてもいいんじゃないか思います。」
「なんという本ですか。」
「そのものずばり、[臨死体験] 文春文庫から上、下巻で出ています。作者はあの立花隆さんです。」
「やっぱり読んだほうがよろしいんでしょうね。」
「今、死がどのようなものか分からなくて苦しんでいるんでしょ。発狂しそうなくらい。そうだったらきっと一気に読めてしまいますよ。立花さんも最後のほうに書いているんですよ。『この調査をやっていくうちに死ぬのが怖くなくなった。』って。この本を読み終えたらきっと発狂することもなくなり、穏やかでいられると思います。2週間後ぐらいにまた病室を訪ねますので、そのとき読み終えた感想を聞かせて下さい。」
「はい、分かりました。」
春江はしぶしぶ承知した。死ぬ瞬間は?死んだら?今まで無限軌道のように落ち着き先のなかった問題がやっとどこかに落ち着きそうな感じがする。少し気が軽くなった。しかし、苦手な読書をしなければならないのは憂鬱である。
志村は、「では」と言って、先に席を立ち職員食堂を出て行った。
病室に戻る途中、公衆電話が目に留まった。
「もしもし、隆志、私だけどちょっと頼みを聞いてくれない。文春文庫に立花隆の臨死体験の上下巻があるんだけれど・・・・・」
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